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戦災戦士’sコラム | 明寿会 | 川崎市 介護事業所

戦災戦士’sコラム

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    広島市民、長崎市民は、8月6日、9日の、アメリカが投下した原爆で肉親を抹殺された事を忘れてはいない。

    私たち関東に住む人間も、いろんな意味で忘れてはならない。

    というのは原爆投下者の意図が今日までも70年以上も続いているからである。

     

    一瞬にして溶鉱炉の数千度の火と放射能で数万数十万もの女子供老人を大量虐殺したアメリカは、そればかりではなく、日本の文化や富や経済を70年以上も支配し、吸い尽くしていることは、同じ人間として許されない。

    もしかすると黄色人種だという侮蔑意識があるのかもしれないが。

    人生100年一世紀の7割以上を他国が支配下にすることは、許されない。

     

    今アジアもヨーロッパも大きく変化している。

    隣国中国はアジアインフラ投資銀行(AIIB)を立ち上げ、今回新たにカナダ、ベルギー、ハンガリー、ベネズエラなど13カ国が加盟承認され、加盟国・地域は70となり、Gセブン(主要7カ国)で参加していないのは米日だけとなり、アメリカの世界における影響力の低下には歯止めがかからない。

     

    没落する巨人アメリカの橋渡し役の日本の首相はそれこそ世界でトランプのアシスタントとして飛び回っている。

    今後没落救済策として自国民の老人福祉や教育費をさらに搾り取ることに必死になるだろうが、許してはいけない。

     

    広島・長崎市民はアメリカは絶対に日本を守らないと断言している。

    それは原爆投下が必要だったという日米の人間たちの発言力を上回る説得力をもつものがあり、支持されている。

    自らの肉親、同胞を焼き殺され、その上に感謝しろなどと言われて納得する人間はいない。

    70年かけて敵を見抜く眼力を磨いてきた。

     

    今関東の私たちも目を覚ますときである。

    そして日本の未来について広島・長崎市民とともに考えるべきである。

    日本と自分の家族の未来の事として考えるべきである。

     

    今年も夏は暑い。

    デモ行進も大変である。

    しかし未来への熱い気持ちを持って広島市民から揺るがない気持ちを吸収してきましょう。

    男どもが先陣をきってやりましょう。

     

    10月には文化祭があり、そこでは原爆展・戦争展を行います。

    その準備作業として8月の行動をやりましょう。準備をお願いします。

     

    2017/5/29

     

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    ある日の午前のデイケア室で、いつものように20人弱の利用者さんと集団体操をやっていた。

    音楽のあとに足の体操になった。

    Aさん(女性)は第二心臓体操がうまく出来ないのである。

    それは両足のふくらはぎ(腓腹筋)の収縮運動を第二心臓体操と称していて、全員が輪になってかかと上げ運動を30回やる。

    ただ床に足を置いて、つけた足の“かかと”だけを上げるのである。

     

    しかしAさんは“かかと上げ”の意味が理解できず、自分の足首を前に上げたりしている。

    近くの職員が足を押さえて“かかと”だけをあげさせようとしても出来ない。

    その様子を見ていると、Aさんは周りを見ず自分の足ばかりをみている。

    そして同じように出来ない、出来ない、というそぶりで顔をしかめて悩み混乱している。

    集団にいながら他人を見ていない。

     

    そうやるのではなく、輪になっている円の反対側のおばあさんの足を見てご覧なさいというと、見た途端に即出来るようになった。

    集団に居ながら個を頑なに維持していた。

    輪になっていなかったのである。

     

    Aさんは自分一人で混乱していた。

    集団から学ぶというやり方に慣れていなかった。

    集団が自分を教えてくれていること、これが集団効果であり、集団ケアであり、集団力である。

     

    デイサービス室でも社長夫人だった高いプライドの女性が参加してきた。

    はじめはプライドが高くて参加は難しいのではないかと思われてた。

    しかしそれは杞憂に終わった。

    参加してみるとスムーズに輪に入り、入浴もできた。

    プライドが高い(個が優先)と心配していたのが、本人は集団を欲していたのであった。

     

    特に認知症になると、不安がいっぱいになり、個に閉じこもってそれが悪化してしまう。

    それを周囲は勝手にプライドが高い、個が優先ではないかと外からだけ、風評だけ聞いて見て評価していたのである。

    そうではなく、個に閉じこもるのは、集団に参加して背中を押してもらいたいのである。

    ただ一歩をヘルパーに押してもらいたいのである。

    人間はこの世で一人で生きていけないのだなと感じた次第です。

     

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    グループホーム旭町ご利用者 様

    上記の件についてお知らせします。

    当施設をご利用いただきありがとうございます。

    運営にあたり、開設者である私からお知らせがあります。

    グループホームはグループ9名の生活が優先の施設であります。

     

    個別家族が困ったときの駆け込み寺ではありません。

    集団生活を維持することで認知症者の集団ケアが可能になります。

    職員が交代で24時間、365日朝から晩までお世話できる施設です。

    家族生活を優先に考えているなら、家族でお世話していただきますが、医学的に考えて認知症ケアの個別家族ケアは困難です。

    専門のヘルパーや看護婦や医者を抱えている特別なハイソサエティーなら別ですが。

     

    なおご利用者様を時々連れて帰っていただくことは結構ですし、家族の絆を忘れないことは大切です。

    しかし、あくまでここは集団生活で9名に「なじみが出来ることを我々施設側の人間は常々骨折っている」ことを忘れないでいただきたい。

    そのうえに認知症を日々勉強しているヘルパーと高齢者の身体の病気について常々24時間管理を考えている看護師や医師がまわりにいることを忘れないことです。

    本来なら国が社会保障として高齢者介護はやるべきですが、現状はそうなってはいないから仕方がないのです。

    一番困難な大脳の病気について国立大学の英智と予算を出してやるべき人類の課題であります。

     

    認知症ケアは非常に難しいのです。

    それに加えて社会保障制度を個別家族にさせようとする制度も問題で、これは国民全体が考えて解決を目指す必要があります。

    そのときは家族の皆様もご協力をおねがいします。

     

    今後は連れて帰ることより、家族で面会に来て下さい。

    9名の集団に会いに来て来て下さい。

    よろしくお願いします。

    ここでは個別ケアより集団ケアが大切で、優れているのです。

     

    (有)明寿会 柳田 明

     

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    音楽と大脳

    最近の医学では、音楽を聴くと大脳機能地図全体が反応していることが検査で明らかになってきた。

    その検査方法は最も発達した手法といわれているものでf-MRI検査と呼ばれている。

    臨床現場では認知症でも大人から子供でも共通して音楽に反応する。

    音楽の反応は年齢や病気には関係がないのである。

     

    人類は音楽を聞くことに関しては境界がない。

    音楽を聴いていると、無意識に手でリズムを取ったり、足首を動かして拍子を取っている。

    音楽を聴く中枢である大脳細胞が活動すると、前頭葉が刺激され、そこから連動して運動中枢が刺激されて運動神経細胞が活発化して末端の手や足先までも動かしている。

    このように大脳全体が活動する。

     

    認知症者は記憶中枢の障害から前頭葉障害を起こし、判断力を失い、未来が見えないので心の中は不安でいっぱいである。

    だが聞き覚えのある声や、好きな音楽が聞こえてくると、途端に表情が明るくなり、体がウキウキしてくる。

    お互いにリリアンを握って輪になり、手を取って歌い出す。

     

    更に最近の研究では、音楽が人間の集団化に役立っていることが明らかになってきている。

    大脳の研究者である時実利彦氏によると人間には集団脳があると主張されているが、これも近年の研究や脳科学の発達が裏付けており、数十万年、数百万年かけた人類の進化の過程で音楽とともに集団活動をして地上での天変地異を乗り切った刻印として証明されて来ている。

     

    民族の誇りを感じる音楽を

    80歳から90歳、101歳などの高齢者が20人内外集っているのが現場のデイケア室でありデイサービス室である。

    この老人の現状に対して国は十分な水をやらず、次第に涸れて貰うことを考えているのが介護政策である。

    明治時代には民族の誇りを滲ませた童謡や唱歌が歌われ、日清日露時代を舞台にして作られた「戦友」などは今日も歌われている。

    それをデイケアで集団で歌っていると、目をつぶりながらも口は動いている。

    「我は海の子」なども軍艦に乗って海の国日本を護れという当たり前の歌詞の内容が、戦後は歌われなくなった。

    民族の利益を護れというのは昔も今も国民の心は同じである。

    更にこの歌では竜巻も氷山も恐れないとなっており、地震国の日本人としては当たり前の感覚である。

     

    民族の利益を護れ、海の国日本を護れというのは国民心情は昔も今も変わらない。

    民族の利益を守れという歌が、今日ではあまり歌われなくなったのは、敗戦後70年以上も国益をアメリカ国に核の傘代金として利益を差し出しているためである。

    だから年寄りは枯れない程度に水をやるとなっている。

    そして今日、アメリカの没落とともに日本国の老人の水が減少してきた。

    その水の計算を政治家たちが計算しているのである。

     

    介護活動を通じて、民族の誇りを取りもどす

    戦争体験者が杖をつきながら、バルーンを抱えながら参加する介護活動では、日本の誇りを取り戻す介護活動こそが現代介護職員には必要なことである。

    これこそが日本の介護音楽活動である。

    その継続を保障するための介護リハビリである。

    これを我々は健脳健国集団リハビリと呼んでいる。

     

    老人が日本の民族の誇りを取り戻す活動、これが我々の目指す老人介護であり、回想音楽ケアである。

    これを1年くらいやり始めて老人の目が輝き出した。

    そこでは民族の誇りを歌え!民族の屈辱を歌うな!である。

     

    デイケアの高齢者は男性も多い。

    その身体には生きてきた歴史が滲んでいる。

     

    反応するのは民族の誇りが詰まった曲である。

    音楽に託されたメッセージを引き出して、感じて、集団で歌い始める。

    目を瞑っていても口元からよだれを垂らしていても、戦友が出てくる。

    海軍経験者、陸軍として大陸で従軍した男性高齢者、南方で兄弟を失った車イスの老女が参加する。

     

    日本は比較的民族の混合は少ない。

    これに比べてアメリカ国はまれにみる混合民族であり、唯一の結束点は国旗という布切れだけである。

    その布の後ろには殺戮の歴史がある。

    戦争の歴史がある。

    略奪と世界の弱者からの収奪の歴史で、そこから大量の物資や資財を蓄積し、世界の憲兵に君臨した。

    しかし今やその栄光に翳りが出てきた末期の怪物で過去の物となりつつ、同時に日本から血を啜る倒れつつある吸血鬼の状態である。

     

    他方で日本は歴史的に地理的に民族の混合は少なく、ルーツが米食であったり文字も漢字を語源にし、体質的にも共通性が多い。

    シルクロード歴史を共有し、アジア圏文化文明が中心である。

    歴史上では民族紛争はあっただろうが、人的、歴史的、文物の交流などもあり、益々発展してきた。

    民族の誇りを大切にし、自らの人生の脊髄作りをしてきたのである。

     

    自らの人生は民族の歴史を生き抜いてきた人生であり、それを言葉にし、歌にしてきた。

    それを共に輪になって生きてきた誇り、民族の誇りを歌うのは喜びである。

    介護音楽を通じて第二次世界大戦を振り返り、大陸侵攻、追い出されて南方展開、扇動されて犠牲をもたらし、末期の戦争指導者たちの最終決断の失敗などを振り返り、ころころ変わる政治家ではなく、国民が社会の平和や政治を決めていかねばと話しをし、歌をうたい、リリアンを回し、若い世代への継承のためにはリハビリを行って体力を維持している昨今である。

     

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    ~それは全国44万人の戦争未亡人の中の一人だった~

    親子心中を企画したおふくろがいた。

    小学校低学年の頃、1年生か2年生。

    敗戦間もない頃の夏の真夜中に起こされてお袋と宮崎県日向市の伊勢ヶ浜へ向かった。

    真っ暗な新月、顔が見えない月も出ていない。

     

    しばらく歩くと海鳴りが聞こえてくる、響いてくる。

    暗闇にゴーッ、ゴーッという。

    道の周りは田んぼでカエルが合唱。

    数百匹のゲロゲロ。

    自分には坊主の読経のように感じた。

    ナンマイダー、ナンマイダー。

    1時間近く歩くと、浜までの一本道。

    蛍がいた。

    なんでこんな所を歩くのかと思っていた。

     

    しかし暗闇で強く手を握り、何も言わない暗闇のお袋から、何か覚悟をしている感じは伝わってきた。

    振り返るとそれまでも電気のソケットに手を入れようかなどと、おかしなことを言っていた。

    新月の暗闇、私は蛍を集めたいとお袋にちり紙を要求。

    両手で作った袋に何匹かを集めると、暗黒の中に光が浮かび上がった。

    ほんのりと、ぼーっと。

     

    そこから二人の人生がUターンした。

    死の道から逆行して生きることになった。

    お袋の気持ちが変化した。

     

    海の底から、真っ黒な道を間借りの部屋へ二人で帰った。

    誰も知られずに。その後、お袋は活動的になり、看護婦を目指した。

    私を置いてきぼりにして、必死になった。

     

    その後にも寄宿先の親戚の子どもの耳があたり、その子は自分の母親に訴えた。

    そこを出されると生きていけない。

    私はおふくろに左耳を潰された。

     

    しかしおふくろは二人生きるためであった。

    わたしは今でも左耳が不調。

    当時の死から引き返しの思い出の刻印でもある。

    そのころの記憶のキーワードは「新月暗黒の一本道、海鳴りと読経、蛍、それから引き返した。」

     

    *こんなことを喋ることは嫌である。

    お袋は亡くなり、私の子どもや孫は知らない。

    しかし日本は71年前に戦争し、敗戦して国民は大変な苦しみを味わった。

    多くの高齢者が二度とこんな事は若い人たちに経験させたくないと考えている。

    だから喋るのである。

    母子家庭でいじめられ、人にわからない左耳の後遺障害、学校や会議でも苦労した。

    あえて治療をしなくて良かった。

    戦後の苦労を忘れないから。

    このあと必死で生きてきた。

    医者になっても真剣に生きてきた。

    眼前の敵、世の中の敵との戦い、いじめや貧乏、病気との闘いをやってきた。

     

    世の間違いには激しい怒りと憎しみを持つのは、母子を海の底へ誘った「悪」を徹底的にやっつけたいという気持ちからである。

    その気持ちは尋常ではない。

    そして年を経るに連れ、次第にその「悪」についてわかってきた。

    若い頃は自分の気持ちは理解されないと考えていた。

    手術すれば治るという診断書つきで医者に合格しても、喜んだのは回りの親戚。

    自分には生きる闘いが再び始まる、やれやれという気持ちだった。

    現在も同じで続いている。

     

     

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