• 三々五々館
  • 求人情報
  • 事業所一覧
  • 戦災戦士’s
  • 地域交流会報
  • 処遇改善報告

「明寿会のなじみグループ」様々な内容をブログで掲載中

戦災戦士’s

戦災戦士's

  • アメリカ政府に原爆投下の謝罪を要求し、原水爆の製造・貯蔵・使用の禁止、核基地の撤去、すべての原発の廃止を訴える署名

    広島、長崎に原爆を投下したアメリカの行為は人類への許し難い犯罪であり、アメリカ政府に謝罪を要求する。
    人類史上もっとも凶悪な無差別殺人兵器である原爆を人間の頭上に投げつけたのはアメリカだけである。
    そのアメリカは今なお謝罪しないばかりか、逆に「正義のためであった」と開き直ったまま、高性能核兵器の開発、実験をくり返し、原爆の先制使用を叫んで中東でアジアで世界各地で緊張をつくり出している。
    アメリカ政府がすべての国に先んじて原水爆を禁止しなければ世界中の核兵器は廃絶できない。

    アメリカ政府に日本からすべての核兵器を撤去するよう要求する。
    許しがたいことは、アメリカが原爆を投げつけた日本を原水爆攻撃基地として増強し、中国、朝鮮に対する原水爆戦争の盾にしようとしていることである。
    日本全土で米軍核基地を再編強化し、憲法の戦争放棄を踏みにじり自衛隊を下請け軍隊にして世界各地に武力参戦させようとしていることは許すことはできない。
    岩国基地を極東最大の出撃基地にすることは被爆地・広島に対するこの上ない冒涜であり日本人全体の屈辱である。
    アメリカの属国となってアジア、中東、アフリカなど地球の裏側まで行って戦争するのは愚かなことであり、近隣諸国、世界の国々とは友好連帯の関係を強めることこそ日本民族の誇りである。

    広島、長崎の被爆市民がすべての戦争体験者とともに、その苦しみ、悲しみ、怒りを若い世代へ語り伝えることは、世界平和への重要な使命である。
    それをはばからせるあらゆる要素は排除されなければならない。
    原爆投下は「戦争を終結させるため」ではなかった。
    原爆を投下し沖縄戦や都市空襲で日本全土を焼き尽くしたのは、アメリカが日本を単独で占領支配するためであったことは、独立を踏みにじられた日本社会の現状が証明している。

    福島原発の大災害は大きな爪跡を残しているが、地震列島に五四基もの原子力発電所をつくらせたのは、まさに広島、長崎の被爆体験を抹殺してきた原爆投下者とそれに隷属した勢力であり、その残虐性の延長である。
    安倍政府がアメリカの言いなりになって国民世論に耳を貸さず、「安保関連法」を成立させ、原発事故の汚染水も制御できぬのに原発再稼働し、年金など国民の蓄えをアメリカに差し出し、英語優先の教育に突っ走ることは植民地的な隷属関係をあらわしている。

    戦後七三年間、原爆は使用されなかった。
    朝鮮戦争がぼっ発した一九五〇年、広島から始まった原爆反対の運動はたちまちにして全世界に広がり、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも原爆を使用させない力となった。
    昨年は核禁止条約が国連で採択され、朝鮮戦争は終結に向かっている。
    この運動の原点に返り、被爆市民が本当の声を上げ若い力を結集すること、社会の生産を担う労働者が世界平和のために役割を果たし、政党政派、思想信条をこえて国民的規模の運動を全国津々浦々におし広げ、世界の平和愛好者と団結し、あらゆる核兵器を廃絶させなければならない。

    「広島、長崎の惨禍をくり返してはならない」。
    被爆地の地下からの叫びにこたえ、新たな原水爆戦争に反対し、あらゆる原水爆の製造、貯蔵、使用の禁止を訴える。

    二〇一八年五月
    原水爆禁止全国実行委員会
    山口県下関市中之町五-九

  • 感情が関係する記憶は残るが、日常的生活の無意識に近い動作の記憶は比較的薄れる。
    つまり日常生活の人間関係で感情が関係する記憶は、長く残る。
    振り返って考えてみると腑に落ちる事が多い。

    最近認知症で記憶の障害が顕著な六〇代後半の女性は、短期記憶障害があり、テレビのアナウンサーと実在の人物と混同する。
    しかしこの方はデイケアの集団ケアの仲間に、つい最近あった小学生の女子児童が鉄道線路で遺棄死亡した事件を「かわいそう」と話をしていた。
    この事件はメディアが繰り返し繰り返し報道していた。
    この繰り返しの映像と「かわいそう」というこの女性のやさしい気持ちがむすびついて、感情記憶として残っていた。

    人によっては重度の認知症で発語もできない、自立した行動もとれない方でも、身体の振動を感じ取って声を出す、足を動かす反応を示す事もできる。
    特に後者の事例では、最近私たちが導入しているスウェーデンのブンネギターを使ってその方の膝にブンネギターを置いてコードバーを動かすと、その響きで口を動かしたり、声を出したりする反応で返していただける。ブンネ理論で説明されている体の五感の一つの刺激が大脳の全体の反応を引き起こしていることを証明している。

    このブンネギターは認知症や幼児などにも使いやすく、楽器を扱ったことのない素人の職員でも手軽に演奏できると説明されている。
    特にこのブンネミュージックでは、楽器のほかにブンネ楽器専用楽譜を販売しており、広く福祉活動に活用する可能性をもっている。
    ブンネ・メソッドは世界の福祉活動の分野の大きな底上げにつながなる可能性を教えている。

  • 八十、九十年、日本社会を支えてきた高齢者。
    幼少時、先人から歴史や文化を受けつぎ、自ら大人になって家庭をつくり、日本社会の一員となって社会を支えてきた。
    この中で歌は艱難辛苦を乗り越える手だてだった。時には歌に酒がつきもので、手拍子がともない、歌を集団で歌うことで仲間の絆を感じあい、緊張した大脳の交感神経をリラックスさせた。
    そしてリラックスと集団高揚感はアドレナリンをみなぎらせ、新たな行動へと結びついていく。
    そこには過去の太平洋戦争があり、国民一体化となって大きな壁を打ち破ろうとし、民族の挫折を味った。

    歌が民族の進歩発展の年輪形成の中の重要な構成要素であった。
    現代日本社会の活動の中で、歌がどのように役立つのか考えてみたい。
    私たちの世代の年輪構成にあって、民族の挫折ではなく、平和と発展の方向へ向かうことに貢献しなければならない。
    三〇〇年前に、江戸の市民が、揺れ動く幕末の政治を揶揄して「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四はいで夜も眠れず」とうたい、しっかりしろ徳川幕府!しっかりせよ日本!

    幕末の百姓の塗炭の苦しみと日本の危機を救ったのは 吉田松陰や高杉晋作などの若き志士であった。当時の様子を滝廉太郎、土井晩翠が「荒城の月」で表している。
    春高楼の花の宴で杯に影がさし、秋陣営、雁がなき、さらに栄枯盛衰は世の姿・・・で終わる。
    この歌が私たちに伝えているのは、もっと遠くを眺め、足もとを見直して前に進みなさい。
    私たちは何百年の歴史の国であり、困難を乗り越えてすすみ、発展してきた。
    その中に伝統があり、誇りがあり、励ましてきた歌がある。それを思いだし、振り返れ、出来ないことはない。

    月一回の音楽療法、院長の音楽会、日本人の誇りと心を思い出し、学び、取りもどしていく。

  •  

    デイケア室、三々五々館のタイムスケジュールになります。

     

    ※クリックして拡大

     

  •  

    ご興味のある方、応募されたい方など、お気軽にお問い合わせください。

     

     

人気記事

認知症の心